吉祥寺ホメオパシー日和
伊藤知子と申します。
ホメオパシーのことはモチロン、日々、好きなものについて書こうと思います。
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2014.11.28 Friday
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人とのつきあいかた
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フィリアから眺める井の頭公園の紅葉が綺麗な季節です。
先日いらしたクライアントさんと、「人つきあい・友人つきあい」の話をして思い出したことがありました。
数年前にいらしていたクライアントさんTさん。小学校低学年くらいの娘さんのいる30代のお母さんでした。
もちろん、治したい体の症状があって相談会にいらしていたのですが、話しているとどうしても、友人であるBさんの話になってしまう。
相談会では好きなことを好きなだけ話して頂いていいのですが
相談会1時間のうち8割くらいが、Bさんとの関係に悩んでいる話なのです。
Bさんは、気が強くパワーが強く、キツイ性格で自己中心的。Tさんは振り回されているようでした。
「この間、Bさんとランチに言ってきたんですけど、こんなことを言われて・・」と
Bさんの言葉に傷ついている様子。
毎回、毎回そうなのでBさんと会うのは憂鬱だ・・とのお話。
私は
「そうかあ〜。なんだかTさんの憂鬱や悩みの大半はBさんから発生しているみたいだなあ。
『Bさんと会わないほうが良いですよ!』・・・と言いたいけど、そんなことまで言うのはホメオパスの領分を越えている気がするし・・
あれだけ不満や文句を言っても誘われれば会っているのだから、実際は嫌いではないのかな?」など、色々と考えていました。
5〜6回の相談会でその調子(相談会の時間がBさん関係の悩みでほぼ費やされる)でした。
しかし、症状などは良くなってきていて体の調子は良くなっており、そちらは具合が良い様子。
「体の調子はおかげさまで良いんです〜」とニコニコするTさん。
でもBさんの話になると、とたんに顔が曇ります。
それなので、ある日、とうとう聞いてみました。
「あの〜、Bさんとケンカしたら、何か不都合なことが起きそうですか? ママ友関連で・・〇〇ちゃん(娘さんの名前)が仲間はずれにされるとか・・ママ友仲間から村八分になるとか・・」
「? いいえ?そんなことはないと思います」
「じゃあ仮に、Bさんと絶交して、縁が切れても実際困ったことにはならない・・ということですよね?」
「そうですね・・」
「それなら、これからはBさんからの誘いを断って・・縁を切っていく方がいいんじゃないでしょうか?」と、おずおず言ってみる私。
するとTさん。
「そうか!そうですよね!誘いを断っても良いんですよね!それは気が付かなかったです!」
と、おっしゃっていて「目からウロコが落ちたわ〜」と。
次の相談会にいらしたときは、
「Bさんから誘われたけど、断りました!」と満面の笑顔でした。
私は長い間、そんなに嫌がっているBさんと会い続けるのは断れない事情があるのだろうと思っていたのですが、
「断るという選択肢を思いつかなかっただけ」だったとは・・。そういう「輪」の中に入り込んでしまって「そこから出る、切れる」ということを思いつかない方は意外といるのかも知れないな、と
相談会をしていてクライアントさんの人間関係の悩みを聞くと思います。日本人は人に気遣いをする国民性なので余計そうなのでしょう。
「イヤだな」と思う人に誘われたとき、日本人の大半は「都合が悪くて」とか「忙しくて」などと言いますよね。
中国人は「私はあなたが好きではないから一緒に食事はしたくないです」とか言うんだそうです。
(仕事で中国に数年滞在していた友人から聞いた話です)
「中国人はすべて本音。相手が傷つくかどうかは全く関係なし」だそうです。
一方で、ある意味バカ正直なので
「今日は時間がないから」と言われても、それは本当にそういう理由なので
「嫌われている?」などと勘繰る必要はない、慣れればラクだ、と言っていました。自分は「本当に好きだ。忙しい生活の中での貴重な休日の時間を割いても会いたいなあ」と思う友人としか付き合っていないので、
幸せだし、ラクです。でも世の中には、「〇〇さんと会うの憂鬱だな・・」などと思いながら友人に会いにでかける、という人が実に多いんだな、と思います。
ただ、ホメオパシーをやっていると本人のパワーや免疫力が上がってきて、核というか魂の欲しいものがハッキリしてきて、
良い意味での自己主張が強くなり、自然に人間関係も変わっていくのだなあと、クライアントさんたちを見ていても思います。年末で、大掃除の時期。
「この際、人間関係も大掃除してスッキリしてやる!」なんていうのも良いかも知れません(^^)
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2014.11.20 Thursday
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敵⇒下僕⇒愛人
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猫のマルが家にやってきて5か月。
生まれて7か月くらいになったので、人間でいったら10歳くらい。
おてんばざかりです。
最近、好きなもの。
パソコン。
ノートパソコンを開いて仕事やメールをしようとすると
必ずやってきて・・・
ジャマ・・いや、本人的には(たぶん)仕事してくれます。
マル「目新しいニュースはナイにゃ」
大きくなってきたので、だんだん性格がクッキリしてきました。
◆内気ではない。けっこう人が好き。
◆友人が来ると飼い主に対してよりも愛想やサービスが良い。ブリッコをする。
◆見かけは女の子らしいが、スコティッシュフォールドにしてはかなりジャンプ力もありオテンバ、ヤンチャ。
◆甘ったれるときと、ワガママで凶暴なときの差が激しい。
などなど書き連ねていたところ、夫が「(おまえに)性格似てるね・・」と。
う〜ん、そんな気がしなくもない・・。
猫つながりの友人の話を聞くと、やはり全般的にオスのほうがシャイで繊細、
臆病なことが多いようです。
「おっとり」という言葉が合うのは男の子のほう。
これはブリーダーさんもそう言っていました。
人間界でも猫界でもメスは強いのう〜。
大きくなるに連れて飼い主である私や夫との関係も変わってきました。
家に来た当初や、この夏頃はこんな感じでした。
「敵」時代=過去ブログ記事「武闘派子猫、見参!」
「下僕」時代=過去ブログ記事「敵⇒下僕へ」
はじめは私たちのことを「敵」とみなしていたのですが
慣れてきたら「おまえたちはアタチの下僕なのね」という扱いをされていましたが、
最近は「愛人」ぽくなってきました。
9月頃まではマルは寝室の隣のドア1枚へだてた「猫部屋」で
一人で寝ていたのですが、あるときから急に
「一緒に寝る〜〜〜!」と主張しはじめました。
前はドアを閉めて寝かしつけるとおとなしく寝ていたのに、
開けるまで「にゃあ〜〜〜ミャア〜〜」と哀しく切なげに鳴くようになったので
仕方なくドアを開けると一目散に私の布団の枕元に来て
「もう、動かないもんね!一緒に寝るんだもんね!」という態度。
そして朝。
「なんだか顔に温かい息がかかるな・・」と思って目を開けると
こんな感じです。
ドアップ!
鼻チューをしてきて、ひとしきり朝のいちゃいちゃタイムです。
基本、眠いときとおなかが空いているときはいちゃいちゃしてくれます。
夫にいたっては、帰宅してくると飛んでいってお出迎えしてくれるので
もうデレデレです。
最近は夫と私は「愛人の座」を争っています。
夫「おまえが居ないと、マルはオレにすっごくすっごく甘えるんだ。
おまえがいるときは気を使って甘えないんだ」
私「でも、貴方と私がいたら、だいたい私の方に来るよね?
私のストーカーのごとくついてまわるけど〜。
やっぱり私の方が好きなんじゃない?」
夫「それはオマエに気を使ってるんだ!
『そっちの方が好きなのね!』とオマエが思うと傷つくと思って・・・
本当はオレの方が好きなんだ」
とか、ただの猫バカの会話をしています。
(でも、夜を過ごしているのは私よ〜。)
今日はだいぶ冷え込んだので、この秋、はじめて床暖房をつけました。
マル姫、ウットリしております。「ぬくい・・」
と、猫バカな私にクライアントさんがメールに面白い動画を添付してくれました。
ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、
猫がスタジオにいるニュース番組です。
かなり、なごめるので良かったらご覧ください。
しかし、コメンテーターの教授もキャスターさんもデレデレニヤニヤしてしまっていますね・・。
もっと深刻なニュースのときはどうするのかしら、などと心配になってしまいました。
動画です↓
11/15週間ニュース新書「にゃーにゃ」初登場
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2014.11.12 Wednesday
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小泉八雲さん
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松江には、ラフカディオ・ハーンこと小泉八雲さんの足跡があちこちにあります。
今に残る写真を見ても上品なジェントルマンという感じですね。
ハーンさんは、1850年にアイルランド人の父とギリシア人の母との間に生まれますが
幼少時に両親が離婚したり亡くなったりで、アイルランドの大叔母の元で大きくなります。
アイルランドには昔、旅したことがあるのですが、
街を一歩出ると夜は暗いし人は少ないしケルトの遺跡は謎めいているし、
波は荒く岸壁を削り森は深く荒涼として、いかにも妖精が出そうなところでした。
そこで妖精譚などもたくさん聴いて育っただろうハーンさんは
日本の怪談にも惹かれたのでしょう。
「赤貧」というような時代もあり、世界中を旅したハーンさんは
アメリカの新聞社の特派員として訪れた松江で、士族の娘・セツさんと結婚し、
40歳で「家族」を持ちます。
小泉夫妻の間にいるのはご長男。
半ベソです。
三男一女に恵まれます。みんな可愛いですね〜。
長男は物書きに、次男は英語教師に、三男は画家に、長女は体が弱いながらも
40歳まで生き・・とそれぞれの人生。
小泉夫妻をお互いを「パパさん」「ママさん」と呼び、
ハーンさんの話す日本語は「ブロークン・ジャパニーズ」ながらも
とても味のある言葉だったようです。
「怪談」ではなくて、エッセイの一節です。
「あの小さい虫、よき音して、鳴いてくれました。
私なんぼ喜びました。
しかし、だんだん寒くなってきました。
知っていますか、知っていませんか。
すぐに死なねばならぬということを。」
日本語として正しいわけではなくても
心にしみる言葉を書く方だったのだと思います。
松江を離れたハーンさんは、後に早稲田大学、東京大学で数年ずつ教鞭をとっています。
前回、「出雲」のことを
「力強くパワフルで荒々しく逞しい」という感じを土地から受ける、と書きました。
どちらかと言えば男性的な印象。
「松江」は、出雲から電車で40分ほどしか離れていないのに
全く逆の
「瑞々しく上品で古風で穏やか」というような感じ、
どちらかと言えば女性的な印象を受ける街でした。
松江城の回りには昔からのお堀がそのまま残り、小舟に乗って
「堀川めぐり」というのが出来ます。
お堀端には昔ながらの風景が。
石垣もそのままです。
私の故郷である静岡県・浜松市は軍需工場がたくさんあったため、戦争で焼け野原になり
浜松城もかなり原型とは違っています。
軍需工場が無かったら、松江みたいに古き良き風景がもっと残っていたかも。
松江城です。五層で黒壁の美しい城。
今回の旅で「現代の小泉八雲さんたち」に会いました。
二泊三日の旅だったのですが、一泊目の「大橋館」の
若旦那さん・ジェームズさんはハワイ出身の方でした。
雨の中、タクシーに乗り込む私たちの折りたたみ傘を
ビニール袋に入れてくれました。
このビニール袋、とても重宝しました!
ビショビショの折りたたみ傘を持ってタクシーに乗ると
タクシーの床を濡らしてしまうのが心苦しかったので・・
「日本人以上に細やかに気がつく方だね〜」と言いながら
夕刻、二泊目の宿へ。
「星野リゾート 界 出雲」の駐車場で
土砂降りの中、傘をさして待っていてくれたのは
これもまた、外国人の男性!
丁寧にお出迎えをしてくださり、宿の説明をしながら
部屋まで案内してくれました。
雑誌「LEON」にも出られそうな細身のイタリア人青年・マシさん。
所作が物凄く折り目正しい彼と、部屋で少しお話。
みんなに聞かれるであろう質問を岡本ホメオパスが発します。
「なにが日本に興味を持つきっかけだったんですか?
アニメですか、マンガですか??」
ええ〜〜〜っ?! その二択?!
茶道も書道も柔道も剣道も禅も日本画なんかもすっとばしてソレ?!
爆笑をこらえる私に、マシさんは
「サムライです」とお答え。
上杉謙信のストイックな生き方に惹かれたのだそうです。
まあ確かに日本のアニメやマンガのパワーはヨーロッパに行くと
強く感じますが。
(パリのど真ん中、サンジェルマン・デ・プレの大型書店のひとつのフロアが全部日本のマンガだったりして
目が点になりました)
マシさんはローマ大学で日本語を学んでからの来日だったそうですが
それにしても4年半でこれほどしゃべれるとはスゴイね〜、という上手さでした。
松江は昔も今も、日本人より日本を愛する異国の人々をひきつける街なのかも知れないな、と
思った旅でした。
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2014.11.05 Wednesday
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出雲の窯元 〜出西窯〜
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出雲・松江旅行で、私が「行きたい!」と言って岡本ホメオパスと友人に付き合ってもらったのが
出西窯。
「しゅっさいがま」と読みます。
1947年、戦後の混乱の残る中、5人の若者が集まって
「みんなで物を作る喜びをわかちあい、助けあう共同体を築こう」と言って
作ったのが始まりだそう。
現在でも、作った当時とあまり変わらないのではないなかあ、と思う
素朴な日本の秋景色の中に、工房と隣あって展示と販売をしている建物があります。
こちらは「無自生館(むじしょうかん)」。
「無自生(むじしょう)」とは、
「何もかもがおかげさまで自分の手柄などどこにもあろうはずがない」という意味だそうです。
土地がはぐくんだ土を使い、薪を使い、窯の人間全員で仕事をして、
焼き物が出来上がる。
それは誰の手柄でもない、ということ。
中に入ると、なかなかオシャレ。
すべて木で出来た素敵な建物です。
木の香りがします。
右下の瑠璃青のお皿、これが「出西ブルー」と言って有名。
島根県は民藝運動のさかんだった土地で、更に焼き物に向く土が出ることもあり
窯元がたくさんあります。
その中で、私がこの出西窯を選んでいった理由のひとつは「安いから」。
そして「デザインや色が好きだから」です。
ブルーの器も良いですが出西窯の白い器は、優しい柔らかい乳白色でとても魅力的です。
冬のホットミルクのような温かみのある白なのです。
茶色もなかなか良いです。
全色買ってきました。早速、我が家で活躍しています。
中にはお茶コーナーがあり、自由にコーヒーなどが飲めます。
実際に器を使ってみられるのはとてもいいな、と思いました。
(モデルは岡本ホメオパス)
「生活の中に美を」と謳ったイギリスのウイリアム・モリスや民藝運動の柳宗悦の影響を受けて、
日常の中で使いやすい器、値段も買いやすいものを、というモットーなのだそう。
出西窯の器は、極力シンプルで模様もほとんどなく、お料理を載せたときに
それが引き立つことだけ、考えて作っているということです。
(余談ですが、柳宗悦の息子の柳宗理は、ここに
「父や母や自分の骨壺を焼かせて」とやってきたのだそうです)
無自生館の隣には、工房があります。
「いつでも、どうぞご自由に見学ください」というおおらかさ。
中に入ってみますと・・
ズラリと制作中の焼き物が。
気を付けて歩かないと・・と奥に行くと職人さんたちが作業をしていました。
更に奥に行くと、窯がありました。
「登り窯」を言われるもので、窯炊きをするときは丸2日、火を絶やさずに
一気に5000個も焼くのだそう。
使い込まれた窯って絵になります。
大量の薪が積んでありました。
わざわざタクシーで行くだけのことはある、魅力的な場所でした。
ところで、岡本ホメオパスとの会話。
「前に一緒に行ったセドナでも思ったけど、なんだか出雲も
大地がパワフルというか、力がある、っていう気がしない?」
「同感!なんだか、土が力強くて男性的で、荒々しい逞しさを
感じるよ」
なんでだろうね?と2人で話し、推論のひとつとしては
「土に鉄分が多いからではないか」ということになりました。
ホメオパシーでも「鉄」のレメディ「Ferr(ファーラン)」のシリーズがあります。
鉄というのは、独立・自立・戦い・パワー などのキーワードがあるので
それらがたくさん含まれている土地に行くと、体の中の鉄分と反応したりもして
その土地を「強い!パワーがある!」などと感じるのかも知れません。
そんな強い出雲の土で作った器に盛る御飯はパワーをくれるかも知れないな、などと
思いつつ今日も夕ご飯を頂いていました。
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